総説 '93.11.5
『胎児診断の近未来』
金沢医科大学産科婦人科学教室
助教授 高 林 晴 夫
Key words
胎児診断,DNA診断,母体血,無侵襲的診断,PCR法,FISH法,生命倫理
1.はじめに
医療においては、患者をその背景をも含めて全体としてとらえ、患者がかかえる身体的問題、疾患に総合的にアプローチし、対処してゆくことが何よりも大切である。生体内に生起する問題、疾患の本質に直結した情報を的確にできる限り安全に得ることは、正確な診断のために必要不可欠であり、正確な診断は適切な治療計画をたて、正しい治療を行なう上で必須の要件である。すなわち、その後の治療に有用な生体内情報を得ることは、適切な治療の大前提であり、いろいろな角度からの生体内情報の飽く無き探求は、医療の発展史において重要なテーマの一つでもあった。このことは胎児医療においても当てはまり、診断に有用 No.な胎児情報を得ることは、胎児治療の前提である。
一方、最近の医学,医療の進歩により、胎児医療という考え方、"The fetus as a patient"というとらえ方がなされるようになり、胎児医療は遠い将来のことではなく、現実のものとなりつつある。そうした胎児医療を支える重要な要素として胎児診断があり、信頼度の高い有用な胎児情報が求められている。
しかし、これまでは胎児が母体内の存在であるため、信頼度の高い胎児情報を安全に得ることはしばしば困難であった。より有用な胎児情報を得ようとすれば、時にはそのことが母児へ危険をもたらしかねないという二律背反に立往生せざるを得ない場面も少なくなかった。特に最近の医療においては、診断,治療行為に関してless-invasiveまたはnon-invasiveな方法が社会からこれまで以上に強く求めらている。胎児医療,周産期医療では、そのニーズがより大きいことは自明である。
我々はこれまで母体血から胎児有核赤血球を無侵襲的に回収し、それら有核赤血球から胎児DNA情報を得ることを試み、一定の成果が得られたのでその方法を紹介し、同時に胎児診断の現況と近未来についても慨観してみたい。また、胎児診断の倫理的側面についても触れてみたい。
2.胎児診断の目的
診断行為が、疾患の治療を前提として行なわれることは、胎児診断においても同様である。しかし、現状では胎児治療の対象となる疾患は増えつつあるとはいえ、限られた疾患である。1963年Lileyによって、重症の胎児赤芽球症の胎児に腹腔内輸血が行なわれたのが、胎児治療の最初の報告
である。胎児治療には、大きく分けて内科的治療と外科的治療がある。内科的治療の対象疾患として、先天性副腎皮質過形成症,メチルマロン酸血症,上室性頻拍があり、外科的治療の対象としては、閉鎖性尿路疾患,先天性水頭症,横隔膜ヘルニアが挙げられる。将来は、DNA治療2も導入され、治療可能な対象疾患が増えることも予想される。しかし、治療を前提とした胎児診断の占める割合は大きいとは言えず、その多くは胎児の救命を目的とした広い意味での胎児診断であり、また一方で人工妊娠中絶を前提とする,もしくはそのきっかけとなる胎児診断であるのが現状と言える。
それぞれの地域,国,時代によって胎児診断の目的には違いがみられるものの、以上の3つまたは2つ,または1つが目的で胎児診断が行なわれている。
3.胎児診断の現況
疾病は遺伝的要因と環境的要因の複合によって起こり、その異常は形態的異常として表現されたり、機能的異常として表現されたりする。胎児を中心にして胎児疾患をみれば、胎児にとっての一次的環境は母体であり、母体の異常(合併症,細菌・ウィルス感染,飲酒,喫煙,外傷,放射線被曝,薬剤服用)が環境的要因として胎児に影響を及ぼすことになる。胎児疾患の遺伝的要因の診断として、DNA分析,染色体分析,酵素分析,有機酸分析がある。一方、遺伝的ないし環境的要因により発症した胎児異常は形態的または機能的異常として表現され、形態的異常の診断法として超音波断層法,MRI,胎児造影,胎児鏡があり、機能的異常の診断法としてカラードップラー法,胎児心拍数図,生化学的検査がある。
以上のように、情報の質により胎児診断を分類すると表1のようになる。また、検査法の侵襲の程度により分類すると表2のようになる。MRIは母児への安全性が確立していないため、超音波断層法など他の方法で有用な情報が得られない場合に限られる。表2をみれば胎児情報のうちでも、遺伝的情報を得ようとすれば、侵襲的方法すなわち羊水穿刺,絨毛採取,胎児採血に頼らざるを得ないことがわかる。
胎児情報を得る方法には侵襲的なものから非侵襲的なもの,信頼度の低いものから高いものもあり、それぞれ一長一短があるが、それらの特徴を以下に紹介する。
まず、最も古典的な胎児へのアプローチとして、母体を介しての診察,計測がある。今も昔も重要な胎児診察法であることに変りがなく、胎児の異常に気付き、発見するきっかけとなるものであり、その意義は今も失われていない。しかし、あくまでも胎児の「様子をうかがう」にとどまり、疾患指向性の高い情報は得難く、隔靴掻痒の感を否めない。
日常診療に即して言えば、超音波画像診断が多用されており、胎児発育をモニターする上で不可欠であり、非侵襲的でもあり、信頼度も高い。画像診断としては、他にCT, MRI,胎児造影術があるが、産科領域においては、胎児への影響の懸念から特殊検査に属する。
胎児心拍数図によるnon-stress testも胎児仮死の診断には不可欠であり、無侵襲的でもあり、有用性は高い。その他、母体血,尿より得られる情報として、尿中E3,血中hPL, α-fetoprotein(AFP)の測定が行なわれる。E3, hPLは胎児胎盤機能検査としての有用性は認められるが、信頼性は必ずしも高くない。AFPは、胎児の神経管欠損症,ダウン症候群のスクリーニングに一定の有用性が認められているが、特異性は高くない。
次に特殊検査について述べる。内視鏡検査としては胎児鏡があり、胎児を直視下に観察できる利点があるが、侵襲的であることが難点である。その他、胎児からの直接の生体情報を得る方法として、羊水穿刺法,絨毛採取法,胎児採血法があり、それぞれその有用性は認められ、胎児の遺伝性疾患,染色体異常,先天性代謝異常症の診断に必要に応じて施行されているが、それぞれ程度の差はあるものの母児に侵襲的であることが欠点である。また、母体血,尿を使った特殊検査として、ガスクロマトグラフィー・マススペクトルメトリー(GC/MS)による有機酸分析があり、得られる胎児情報は現在のところあまり多くはないが、将来その発展,応用が期待されている。
以上、胎児診断法のいくつかを簡単に紹介したが、それらを臨床の必要に応じて組み合せ検査し、総合的に勘案して胎児診断を行なっているのが現状である。
4.胎児診断の理想的条件
以上述べた現状をふまえ、それでは胎児診断を行なう上での理想的条件とは何なのかについて考えてみたい。
まず何よりも大切なことは、その診断法の安全性についてである。一般に診断行為にしろ、治療行為にしろその有用性がその危険性をうわまることが要請されるが、その判断はときに困難なことが多く、論理的にみて比較すること自体が不可能,無意味である場合もある。検査に伴う危険性と有用性を比較するという難題をはじめから回避できる唯一の場合は、検査法として無侵襲的な方法が選択できる時である。
次に、たとえ検査法が安全な方法であっても、それから得られる情報に臨床的意味があり、信頼性がなければならない。すなわち、感度がよく、かつ特異性が高く、再現性があることが要求される。その他に重要な条件として、方法が簡単,簡便であること,安価であること,結果がでるまでの時間が短いことが大切である。以上の条件を満たす検査法が、理想的であるが、これは胎児診断に限らず、成人の検査法についても同様に求められるものである。
しかし、それ以上に重要なことは、その背景として検査法の意味が充分に理解されており、かつ診断された疾患についての治療,対応が確立,準備されていることである。
5.胎児診断の近未来
胎児診断の現況をふまえて、その理想的条件を考えたとき、その近未来の方向性が見えてくる。それは、無侵襲的かつ信頼性の高い診断法を求める潮流である。そうした方向で、将来大きな役割を担うものとして、超音波画像診断の3次元化があり、もう一方では無侵襲的胎児DNA診断法の確立が挙げられる。特に無侵襲的胎児DNA診断がやがてその重要性を増してくると思われるので、ここで概観してみたい。
胎児DNA情報を得る方法としては、これまで羊水穿刺法,絨毛採取法,胎児採血法が開発され、それらから染色体異常や遺伝性疾患のいくつかは診断可能となってきたが、それら方法の難
点として、検査に伴う母児へのリスクの懸念があり、また羊水穿刺,胎児採血においては検査時期が必ずしも早くない点であった。絨毛採取法については、その有用性が大きく期待された時期もあったが、最近ではその方法に伴う胎児へのリスク(特に早期採取の場合)を懸念する報告3もみられる。
一方、母体血中に胎児由来の細胞が出現することは、1969年Walknowskaの報告以来知られていた4−8。しかし、胎児細胞の胎盤を介しての母体血への移行は偶発的なものと一般に考えられ、それがどの程度起こり、どのような生物学的な意味があるのかは、今だ系統的な研究はみられていない。母体血中に出現する胎児細胞としては、胎児有核赤血球,白血球,絨毛細胞が挙げられるが、それぞれ移行率にも差があり、その移行は必ずしも偶発的な移行ばかりと決めつけることは適当ではなく、場合によっては生物学的に積極的な意味を含んでいることも考えられる。また、胎児由来細胞の母体血への移行ばかりではなく、母体細胞の胎児への移行も証明されており9、母児間の細胞を介した積極的な生物学的交流,情報交換が行なわれている可能性もあり、たとえば妊娠の維持,妊娠中毒症の病態,母児の免疫的環境等に関係している可能性もあり、今後の学問的検討課題は多いと言える。
これまで、胎児由来細胞の母体血への移行は確認されていても、それがそのことだけの指摘にとどまり、それ以上の発展が困難であったことの大きな理由として、それら胎児由来細胞を選択的に回収する適切な方法がなかったこと,またたとえ回収できたとしても、それらを有効に分析する手段がなかったことが、最大の溢路となっていた。しかし、1985年polymerase chain reaction(PCR)法10が開発され、臨床医学のみならず生物学研究に大きなインパクトを与えることとなったが、胎児診断の領域においても同様であり、かつ母体血中の胎児由来細胞を分析のターゲットとすることに、あらためて現実的な関心が注がれることとなった。すなわち、PCR法の出現によって、はじめて母体血による無侵襲的胎児DNA診断という夢のようなアイディアが現実性を帯びてきたことになる。
その後、母体血中の胎児細胞をターゲットとしたいくつかの試みが行なわれ、それぞれ成果が得られてはいるが、いまだ実用化される段階には至っていない。母体血中の胎児由来細胞のうち、白血球をターゲットにした場合、それらの選択的回収が困難であると同時に、白血球が母体内に長期間残在する場合があることが観察されており11、たとえば既往妊娠の影響を受けることが問題となる。その点、有核赤血球,絨毛細胞の場合、既往妊娠の影響は無視してもよく好都合ではあるが、選択的回収が白血球の場合と同様に困難である。従って、現状ではflow cyto-
metry(FCM)やマグネテイック・ビーズ法により回収した胎児由来細胞に多くの母体細胞が混入することは避けられず、胎児の特異的なDNA情報を得るには至っていない。ただ、現状でも母体血によるDNA分析によって胎児の性別判定は可能である。
胎児DNA診断の無侵襲化へ向けて、母体血中の胎児由来細胞,その中でも胎児有核赤血球を選択的に回収しようとする方向が主流となりつつあるが、一方、妊婦の腟内に絨毛細胞が遊離してきていることが報告されており12、妊婦腟内の胎児由来細胞も無侵襲的胎児DNA診断のターゲットとして有望であり、今後の検討課題の一つである。
いずれにしても、つぎに述べる我々の方法も含めて、胎児DNA診断の無侵襲化への方向は一つの潮流と言ってもよく、近い将来に実現し、羊水穿刺、絨毛採取の一部または多くの部分を補完ないし置換することが予測される。
6.我々の方法
我々は1990年以来独自に母体血による無侵襲的胎児DNA診断法の開発をすすめ、一定の成果が得られているので、我々の方法13についてその慨要を紹介したい。
我々の着想の背景となったものは、その意味,その程度はともかく、母体血中に胎児由来細胞が移行しているという事実と、1985年以降PCR法が開発され、理論的にも現実的にもたとえ単離細胞であってもDNA分析が可能となったことである。PCR法の出現がなければ、たとえ同じ着想をもったにしても分析手段がなければ、絵に描いた餅になってしまったかもしれない。
我々は標的細胞として考えられる有核赤血球,白血球,絨毛細胞のうち形態的識別の容易さから有核赤血球に的を絞り、母体血中の有核赤血球を選択的に回収することと、それら回収細胞をPCR法により単離細胞レベルで感度を得ること、と同時にそれら回収された有核赤血球が胎児由来であることを証明することを当初の目標として研究をすすめた。
母体血中の有核赤血球を回収する方法としては、FCMやマグネテイック・ビーズを用いることも有望ではあるが、胎児DNA診断にとって重要なことは、回収される胎児細胞がたとえわずかであっても母体細胞の混入を避けて、選択的に回収されることであり、そのため我々は血液をPercoll不連続密度勾配比重遠心法により各層血球を分離し、それぞれの沈渣よりPappenheim染色標本を作製,鏡検し、有核赤血球の有無を調べた。その結果は、図1に示すように、男性,非妊婦からは有核赤血球は発見されず、妊婦においては妊娠8週−23週においてのみ、高率(85%)に発見することができ、それら有核赤血球はマイクロマニピュレータ(micro-manipulator)により選択的に回収が可能であった(図2)。
つぎに、それら回収された有核赤血球を単離細胞レベルでPCR法により分析したところ、Y染色体に特異的とされるDYZ1領域のPCR法14では、有効な感度が得られ(図3)、男児を分娩した妊婦血中の有核赤血球6例,女児を分娩した妊婦血中の有核赤血球5例の分析では、11例中10例において性別判定が一致し、それら回収された多くの有核赤血球は胎児由来であることが証明された。男児を分娩した妊婦血1例において不一致例がみられたが、その原因として、有核赤血球が実際には採取されていなかったこと,PCR法の感度が何かの理由で得られなかったこと,細胞の由来が胎児ではなかったことが考えられる。今後、多数例での分析により原因を確定する必要があり、現在進行中である。
以上のことから、妊娠8−23週において高率に有核赤血球が母体血より回収でき、それらがPCR法により単離細胞レベルでの分析が可能となり、かつそれらは胎児由来である可能性が高いことが示された。
今後の課題として、有核赤血球の回収率を高くすること,現在の一検体処理にかかる時間を短縮すること,回収された有核赤血球からより臨床的に有用な多くのDNA情報が得られるようにすることが挙げられる。
有核赤血球の回収率(現在のところ、母体血2mlより10個前後)の向上については、Percoll法の改良,フィルター法の導入,FCMの導入を検討中である。
検体処理時間も、採血からPCR法による結果がでるまで3−4日を要し、
特に有核赤血球の顕微鏡下での発見には回収率が低いこととも関連するが、長時間(約2時間)を要し、本法の臨床的応用,実用化のための溢路となるものと考えられる。しかし、このことは有核赤血球の回収率を向上すれば解消することでもあり、また有核赤血球の発見を機械化,自動化することも充分に可能であり現在検討中である。
以上のいくつかの残された課題を解決すれば、母体血による胎児DNA診断はより現実的なものとなり、それはここ数年以内に実現可能と考えられる。
現在のところPCR法により単離細胞レベルで診断可能な疾患として、嚢胞性線維症,Tay-Sachs病,血友病Aが挙げられ15、これらはいずれも着床前診断16,17の開発課程において可能となったものであるが、これら診断可能な遺伝性疾患の種類は今後、急速に増加することが予測される。また、母体血より発見された有核赤血球とfluorescence in situ hybridization(FISH)法を組み合せることにより、染色体異常のあるもの(特に数の異常)は診断可能になると思われる。
現在のところ、母体血より得られた胎児有核赤血球を眼の前にして、それらからDNA情報を得る方法として、PCR法,FISH法が有効であり、そのことについてのみ触れたが、今後のDNAサイエンスの発展によっては、単離細胞レベルでのより有効なDNA分析法が開発される可能性も充分あり、そうなればより多くのDNA情報が入手可能となり、あらたなブレイクスルーとなるかもしれない。そのことは現在、日,米,欧において推進されているhuman genome project18の進捗などとも関連し、これから21世紀にかけて10年前後の期間にDNA診断に必要な多くの重要な情報がもたらされて、利用され得るものと期待される。